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東京地方裁判所 平成4年(ワ)959号 判決

原告

株式会社甲野

右代表者代表取締役

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

齋藤宏

彌冨悠子

被告

学校法人慈恵大学

右代表者理事

名取禮二

右訴訟代理人弁護士

髙橋明雄

右訴訟復代理人弁護士

小松勉

三輪拓也

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一億円及びこれに対する平成四年一月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、医療器具類の販売を目的とする会社である。

(二) 被告は、東京慈恵会医科大学、東京慈恵会医科大学大学院医学研究科その他の学校を設置し、教育を施すことを目的とする学校法人である。

東京慈恵会医科大学(以下「被告大学」という。)付属病院(以下「付属病院」という。)には、本院、青戸病院、第三病院及び柏病院(これらをまとめて「付属病院各病院」という。)がある。

2  顕微鏡の売掛金

原告は、被告大学医療用度課(以下「大学医療用度課」という。)の注文により、平成三年一一月三〇日、WILD顕微鏡(以下「本件顕微鏡」という。)を九八八万四三九五円(消費税込み)で被告に売却し、引渡した。

よって、原告は被告に対して、売買契約に基づいて未払代金九八八万四三九五円の支払を求める。

3  眼内レンズの割戻金との相殺による取引

(一) 昭和六一年一二月ころ、付属病院眼科学教室教授であった松崎浩(以下「松崎教授」という。)から、原告代表者に対して、付属病院各病院眼科の患者に使用する眼内レンズを原告に販売させるから、原告は、眼内レンズの販売代金の半額を付属病院各病院眼科医局に割戻金として支払い、これを付属病院各病院眼科医局が注文する眼科用器械器具類、消耗品等の売買代金の支払と相殺してほしいとの申出がなされ、原告もこれを了承した(この合意を以下「割戻金との相殺による取引の合意」という。)。

(二)(1) 松崎教授は、付属病院眼科学教室教授として、付属病院各病院眼科医局において使用する眼科用器械器具類や消耗品の売買について被告から代理権を授与されていた。

(2) 仮に、松崎教授に右権限がなかったとしても、松崎教授は、これらを無償で貸借する権限を有していた。原告代表者は、割戻金との相殺による取引は、付属病院各病院で必要な眼科用器械器具類が大学の予算では購入できないことを理由に依頼してきたこと、本件取引は眼科学教室教授を頂点とするスタッフ会議で決まったことであることを告げられたことから、松崎教授には被告を代理して割戻金との相殺による取引の合意を行う権限を有していると信じたのであり、そう信じたことについて正当な理由がある。

したがって、割戻金との相殺による取引の合意について、松崎教授の権限踰越による表見代理が成立する。

(三) 原告は、割戻金との相殺による取引の合意に基づいて、被告に、別紙売渡一覧表記載ⅡからⅤまでに記載された眼科用器械器具類を売却し、引渡した(ただし、売渡一覧表Ⅲ記載のNo.6の④、⑨と、No.8の①は重複して記載されている)。

被告の原告に対するこれらの売買契約に基づく売買代金未払残額は、以下のとおりである。

付属病院本院二九三六万七八九七円

同青戸病院 九四三万七五一七円

同第三病院 二一七二万五八〇一円

同柏病院 六三五万三三二〇円

合計 六六八八万四五三五円

(四) よって、原告は被告に対し、売買契約に基づく売買代金請求として六六八八万四五三五円の支払を求める。

4  販売拒絶による損害賠償(仮定的主張)

(一) 仮に、原告と被告の間に割戻金との相殺による取引の合意が成立していなかったとしても、昭和六一年一二月、原告と被告は、眼科用器械器具類を無償で貸借する権限を被告から与えられていた松崎教授を通じて、被告は原告に付属病院各病院眼科の患者に眼内レンズを販売させ、その見返りとして原告は付属病院各病院眼科医局の申出によって眼科用器械器具類を無償で提供し、被告は、眼内レンズの販売に伴う原告の利益が被告に無償提供した眼科用器械器具類の代金相当額に達するまで、原告に付属病院各病院眼科の患者に対して眼内レンズを販売させるという合意(以下「無償提供による取引の合意」という。)をした。

(二) 原告は、付属病院各病院眼科医局の申出により、別紙売渡一覧表ⅡからⅤまでに記載された眼科用器械器具類のうち現金支払があった器械器具類(以下「現金払器械器具類」という。)を除いた器械器具類を無償で提供した(この無償で提供された器械器具類を以下「無償提供器械器具類」という。)。

(三)(1) しかるに、平成三年六月四日ころ、付属病院眼科学教室北原健二教授(以下「北原教授」という。)は、原告が付属病院各病院眼科の患者に対して眼内レンズを販売することを突然拒否し、原告は、提供済みの無償提供器械器具類のうちその代金相当額をまだ回収していないもの(以下「代金未回収無償提供器械器具類」という。)の代金相当額(前記3(四)の六六八八万四五三五円)の損害を負った。

(2) 北原教授は、原告が既に得ていた眼内レンズ販売による利益が、原告が被告に無償で提供した眼科用器械器具類の代金相当額に達していないのに、原告が患者に対して眼内レンズを販売することを拒絶したもので、無償提供による取引の合意に基づく債務不履行である。

(四) また、北原教授の販売拒絶は、原告との信頼関係を裏切るものであり、信義則に反し権利濫用に当たる行為で、不法行為を構成する。

北原教授は、被告の被用者であり、北原教授の販売拒絶は、北原教授の職務に密接に関連する行為であるから、被告は、北原教授の使用者として原告の右損害を賠償する責任がある。

(五) よって、原告は、債務不履行による損害賠償又は使用者責任に基づく損害賠償として、被告に対して代金未回収無償提供器械器具類の代金相当額の六六八八万四五三五円の支払を求める。

5  営業利益に対する侵害行為

(一)(1) 原告は、北原教授によって、長年の取引先であった被告から突然眼内レンズの販売を拒絶されたため、眼科用器械器具類販売業界においては、原告にはそれに相当する著しい不信行為があったのではないかとの疑惑が生じ、従来の取引先の原告に対する信用が著しく害された。

(2) また、北原教授は、付属病院の系列病院である東急病院、東京労災病院、町田市民病院、東京都老人医療センター等の眼科の責任者に対して原告との取引を止めるよう強く働きかけたため、原告は、東急病院、東京労災病院、町田市民病院、東京都老人医療センター等の従来の取引先を失った。

(二) 原告の年商は、東急病院、東京労災病院、町田市民病院、東京都老人医療センターの四病院の合計だけでも一億円以上(利益率二〇パーセント)であった。

しかし、北原教授の右不法行為によって、原告は、五〇〇〇万円以上の営業上の利益を侵害された。

(三) 北原教授の右不法行為は、その職務に密接に関連する行為であるから、北原教授の使用者である被告は、原告の右損害を賠償する責任がある。

(四) よって、原告は、被告に対して使用者責任に基づく損害賠償として原告の営業損害である五〇〇〇万円のうち二三二三万一〇七〇円の支払を求める。

6  よって、原告は、被告に対して、本件顕微鏡の売掛代金として九八八万四三九五円、別紙売渡一覧表ⅡからⅤまでの売掛残代金又は債務不履行若しくは使用者責任による右売掛残代金相当額の損害賠償金として六六八八万四五三五円及び営業損害に係る使用者責任に基づく損害賠償金として五〇〇〇万円のうち二三二三万一〇七〇円の総計額一億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年一月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)は認める。

2  請求原因2は否認する。

3(一)  請求原因3(一)は否認する。

原告代表者から付属病院各病院眼科医局に対し、原告が付属病院各病院眼科の患者に使用する眼内レンズを販売するかわりに、同医局が使用する眼科用器械器具類を無償で提供するという申出があったので、同医局は右申出を受けたにすぎない。

(二)  請求原因3(二)(1)のうち、松崎教授が付属病院眼科学教室教授であったことは認め、その余は否認し、同3(二)(2)は否認する。

(三)  請求原因3(三)のうち、別紙売渡一覧表ⅡからⅤまでに記載された眼科用器械器具類(別紙売渡一覧表ⅤNo.8の⑥記載のものを除く。)が付属病院各病院眼科医局に引き渡されたこと及び現金払器械器具類について売買契約が成立したことを認め、その余は否認する。

これらの引き渡された器械器具類のうち現金払器械器具類を除いたその余のものは、付属病院各病院眼科医局がそれぞれ原告から無償で提供されたものである。

4(一)  請求原因4(一)のうち、松崎教授が原告が付属病院各病院眼科の患者に眼内レンズを販売することを承認し、その代わりに原告が付属病院各病院眼科医局から申出のある眼科用器械器具類を無償で提供する旨の合意をしたことは認め、その余は否認する。

(二)  請求原因4(二)の事実は、認める。

(三)(1)  請求原因4(三)(1)のうち、北原教授が平成三年六月四日ころ原告が眼内レンズを販売することを拒否したことは認めるが、原告の損害は知らない。

(2) 請求原因4(三)(2)のうち、北原教授の行為が原告に対して債務不履行となることは争う。

(四)  請求原因4(四)は、否認し、又は争う。

平成二年四月に、被告付属病院眼科学教室の教授が松崎教授から北原教授に交代した際、北原教授が原告に対し、現在までの器械器具類の無償貸与状況、眼内レンズの販売状況等を確認したところ、原告は、突然、器械器具類は売買したのであるからこれまでの五年分の売買残代金の精算をしてほしいと言って、多額の金額の請求をしてきた。

原告と北原教授は、交渉したが、原告は右請求を繰り返すばかりであり、このままでは患者に原告の言いなりの価格の眼内レンズを甘んじさせ、医局側も多額の売買残代金債務を負担させられるおそれが生じ、原告と北原教授との信頼関係も損なわれたため、北原教授としては、原告に眼内レンズ販売の取扱いをさせること及び原告から眼科用器械器具類無償貸与を受けることを打ち切ることにしたのである。したがって、北原教授による販売拒絶には正当な理由がある。

5(一)(1) 請求原因5(一)(1)は、知らない。

(2) 請求原因5(一)(2)は、否認する。

(二) 請求原因5(二)は、知らず、争う。

(三)  請求原因5(三)は、争う。

理由

一  請求原因1(当事者)の各事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(顕微鏡の売掛金)について

1  証拠(甲一四、一六、乙三、証人秋山健一、原告代表者(第一回、第二回))及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一)  被告大学では、価格三〇〇万円以上の器械器具類は、年度予算に計上して購入することになっており、予備費の中から臨時に購入することはない。予算執行年度の前年度における予算作成の作業過程は、次のようになっている。

① 九月ころまでに、付属病院各病院各医局からの購入希望品目がそれぞれの病院に集められ、それぞれの病院が購入希望品目の優先順位を考慮して各病院ごとの要求をまとめる。

② 一二月半ばに、被告大学の予算委員会で審議され、大まかな各機関の予算の配分が決定される。

③ 二月に、理事会で正式に予算が決定される。

購入計画による見積りは一二月ころ行われ、購入決定後の最終見積り等は四月に行われ、予算の執行年度に入ってから競合見積りにより安い業者を選定し、被告大学の決裁をうけた後、その業者に物品供給契約書を発行していた。

(二)  原告は、被告との取引が行われていた当時、予算執行年度の前年度の八月ころ付属病院各病院眼科医長から眼科用機器類のカタログと見積を要求されてそれを提出し、一一月ころには内定の通知を受け、内定通知の後、大学医療用度課に再見積を出して最終的な価格を決定していた。原告代表者は、被告とは昭和五一年ころから取引を行っていたため、正式に予算執行に基づく取引が実現する場合に関しては、被告からいつごろ見積を要求され、いつごろ内定の通知を受けるのかについては熟知していた。

(三)  平成二年六月半ばころ、柏病院眼科医長の大木孝太郎が原告代表者に対し本件顕微鏡の注文をした。原告代表者は、その後、大木医長から納品するよう言われ、同年七月一七日、本件顕微鏡を柏病院に納品したが、本件顕微鏡が三〇〇万円をはるかに上回る約九八〇万円の価格であり、被告ではこれを購入するための予算も計上していなければ、その執行手続も経ておらず、大木医長には、被告が本件顕微鏡を購入することを決定する権限がなかった。したがって、大学医療用度課から原告に対して本件顕微鏡についての物品供給契約書は発行されなかった。

2  右の事実によれば、原告と被告との間で本件顕微鏡の売買契約が成立したとは認められない。

この点に関し、原告は、本件顕微鏡は、平成四年度の予算の内示があった段階で、平成四年度予算で必ず支払うということで柏病院眼科の大木医長から発注を受け、柏病院医療用度課の今関係長から予算が通ったから納入するよう言われたため柏病院に納入したものであるから、大学医療用度課経由の取引であると主張し、原告代表者はその尋問においてこれに副った供述をする。しかし、被告での予算立案の状況からすると、本件顕微鏡の注文が出された六月半ばや原告が納品した七月半ばに、各医局が自局の希望品目について来年度予算で認められるかどうかの見極めをつけることができたとは考えられないし、その当時本件顕微鏡のような価格の器械器具類購入の主管課の課長であった証人秋山が原告主張を否定する証言をしていることに照らすと、原告代表者の前記供述は信用できず、他に原告と被告との間で本件顕微鏡の売買契約が成立したと認めるに足りる証拠はない。

3  そうすると、本件顕微鏡について原告と被告との間で売買契約が成立したとする原告の主張は、理由がない。

三  割戻金との相殺による取引の合意(請求原因3(一))の成否又は無償提供による取引の合意(請求原因4(一))若しくは眼内レンズ販売拒絶に係る不法行為(請求原因4(四))の成否について

1  付属病院各病院眼科の患者に対する原告の眼内レンズの販売が行われるに至った経緯及びその販売の状況並びに原告から付属病院各病院眼科医局への器械器具類の引渡状況については、証拠(甲三の1ないし4、四の1ないし6、五の1ないし6、六の1ないし4、一一、一二の1、2、乙一、一三、一六、証人谷内修、原告本人(第一回目))及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一)  付属病院各病院眼科では、かねてから、白内障の治療として混濁した水晶体を取り出し、その代わりに眼内レンズを挿入する手術が行われており、この眼内レンズを患者に給与するには、付属病院各病院眼科は、その理由が明らかではないが、付属病院が患者に売却するのではなく、被告大学の医師、事務局員のOB等が設立した株式会社慈恵実業なる眼内レンズ取扱業者が患者に直接販売することになっていた。その販売は、この眼内レンズ取扱業者が各病院眼科に備え置いている眼内レンズの中から医師が患者に合ったものを選択して挿入し、この挿入された眼内レンズについて株式会社慈恵実業がその患者に対し一枚七万五〇〇〇円の代金を請求し、その患者がこれを同社に支払う方法で行われていた。

眼内レンズを挿入する手術には鑷子等の器具が必要であったが、被告大学では、付属病院で必要な器械、消耗品は大学医療用度課を通して被告大学として決定された予算で購入することになっており、必要な数の鑷子等の器具を購入するのに十分な予算が認められなかったため、付属病院各病院眼科の医師らはそれら器械等を自己の負担で購入していた。そこで、昭和六一年ころ、付属病院本院眼科医局の病棟責任者をしていた谷内修講師は、株式会社慈恵実業に対して、眼内レンズ挿入手術に必要な器械器具類を無償で提供するよう求めたが、株式会社慈恵実業からこの無償提供はできないと断られた。

(二)  原告は、東京女子医科大学付属病院との間で、原告が右大学付属病院眼科の患者に眼内レンズを販売することの見返りとして、右大学付属病院眼科医局が必要とする器械器具類を原告が提供する方法で、原告が患者に眼内レンズを販売しており、被告大学の付属病院各病院眼科医局の医師の中に予算で認められない器械器具類の無償提供を望む傾向があること及び谷内修が株式会社慈恵実業から前記のとおり器械器具類の無償提供を断られたことを聞き知った原告代表者は、谷内修と付属病院各病院眼科でも東京女子医科大学付属病院眼科医局に対する器械器具類の無償提供と同様の方法で器械器具類の無償提供を実現することを検討し、谷内修は、付属病院眼科学教室のスタッフ会議に諮って付属病院眼科学教室松崎教授の了解を得た。こうして、付属病院各病院眼科医局の医師は、株式会社慈恵実業に代わって原告が付属病院各病院眼科に眼内レンズを常置して医師の選択挿入を通じてこれを患者に販売することを認めるとともに、その代わりに原告が右医局の医師らが申し出た眼科用器械器具類を対価の支払なしに当該医局に提供するのを受け取ることにした。

(三)  付属病院眼科学教室の右の方針を受けて、原告代表者は、患者に対する眼内レンズの販売を一枚七万五〇〇〇円で開始したが、原告としては、眼内レンズの売上金の一部二万五〇〇〇円を各病院眼科医局に対する謝礼(リベート)として経理上留保し(原告代表者は、この留保金を「割戻金」と呼んでいた。)、各病院眼科医局に対する器械器具類の提供は、経理上、これらの器械器具類を各病院に売却したこととし、その代金は、右留保金を取り崩して回収する(これを原告代表者は「相殺する」と呼んでいた。)こととした。原告における右の経理処理に関しては、原告の代表者からは付属病院各病院眼科医局長に対し、眼内レンズを販売した患者名と販売金額を記入した報告書面が送付された。他方、付属病院各病院眼科医局の医師らは、原告の代表者に器械器具類の提供を求めたが、その際、原告が付属病院各病院眼科の患者に対して眼内レンズを販売することによって得る利益のいくらかを付属病院各病院眼科医局への謝礼として現金で支払う代わりに、便宜、その眼科医局の医師らが必要とする眼科用器械器具類を無償で提供してくれるものとの認識の下に求めており、付属病院が原告から当該器械器具類を購入する意思でその提供を求めたことはなかった。

(四)  眼内レンズの当初の販売価格は、後になって付属病院本院では一枚一〇万円に引き上げられ、原告の言う割戻金は、これに伴い、一枚当たり五万円とされ、本院以外の付属病院では、原告の言う割戻金は、一枚当たり三万五〇〇〇円から六万円とされていた。

本院眼科医局にいた谷内修は、原告の代表者からの前記の報告書面を見て、原告が患者に対する眼内レンズの取引で得た利益の範囲でやりくりして眼科医局に器械器具類を提供してくれていると思っていたが、原告が自己が得た利益以上に便宜を図って損が生じては気の毒だと考え、原告代表者に対しては「大丈夫か」と聞いていたこともあった。ところが、付属病院各病院眼科医局の医師らの申出に基づいて原告が対価の支払なしに当該医局に提供した器械器具類の価格の累積額は毎年増加し、原告の言う割戻金なる留保金が払底して原告の経理としては将来相当期間にわたって販売する眼内レンズの売上金の一部留保金で右の累積額を回収するしか方法がない状態が生じた。しかし、原告代表者は、後記(六)のとおり北原教授に言うまでは、この状態について、付属病院眼科学教室の責任者、各病院眼科医局責任者らに対して話をしたことがなかった。

(五)  その間原告が付属病院各病院眼科医局に提供した眼科用器械器具類のうち、三〇〇万円以上の価格のものについては、眼科医局の申出により、被告大学内部の規定に従って、原告が被告に無償貸与する旨の契約書が作成された。

(六)  平成二年四月、北原教授が付属病院眼科学教室教授となり、付属病院本院に出所が不明な眼科用器械器具類が多いことの指摘を受けた北原教授は、同年一一月、原告代表者に対し、これまで原告が付属病院各病院眼科医局に納入していた眼科用器械器具類の明細と金額を出すよう伝え、原告代表者がそれを提供したところ、原告が提出した金額が付属病院各病院眼科医局が計算したものより数千万円程度多く、また、原告代表者はこの金額が売掛代金であると言ったため、原告から眼科用器械器具類を無償で提供されていると思っていた北原教授は、現金払器械器具類以外の器械器具類の寄付を求めた。しかし、原告代表者は、これを拒絶し、そこで、平成三年六月四日、北原教授は、原告に対して、原告が付属病院各病院眼科の患者に対し眼内レンズを販売するのを承認してきたこれまでの取扱を打ち切り、無償提供されたと考えていた器械器具類の返還その他の精算を求める旨を内容証明郵便で通知した。

2  右の認定事実によれば、原告と付属病院各病院眼科医局との間で、原告が各病院眼科の患者に眼内レンズを販売するのを認めてもらう代わりに各病院眼科医局の希望する眼科用器械器具類を対価の支払を受けることなく提供する合意があったというべきである。

この点に関し、原告代表者は、付属病院各眼科医局へ眼科用器械器具類を売却し、その代金は割戻金と相殺する旨の合意であったと供述するが、原告側と各病院眼科医局との間では原告が提供した器械器具類の価格についての交渉が全く行われておらず(原告本人)、前記二で認定したとおり、原告代表者は、被告大学の器械器具類の購入手続を熟知しておりながら、各眼科医局に提供した器械器具類については高額の物品についても正式の手続を経ておらず、しかも前記1(5)認定のとおり、高額の物品については無償貸与の書類作成に応じていたのであるから、各病院眼科医局側はもとより、原告代表者も売買をする意思であったとはいえず、原告代表者の右供述は採用できず、他に割戻金との相殺による取引の合意があったことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、原告と被告との間の割戻金との相殺による取引の合意を前提とする原告の売買代金請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

3  次に、原告は、無償提供による取引の合意があったと主張するので、この点について検討するに、原告としては前記のとおり眼内レンズを販売するのを認めてもらう代わりとしてではあるが相当高額な器械器具類まで無償提供するのであるから、無償提供することによる経済的負担と同額以上の利益が眼内レンズの販売によって得られること、言い換えれば少なくとも原告が各病院眼科医局に無償提供した器械器具類の代金相当額に達するまで、原告が各病院において眼内レンズの販売を続けることができることを期待していたことは容易に推認し得るところであるが、前記1の認定事実によれば、付属病院眼科学教室も付属病院各病院眼科医局も原告に対し、眼内レンズの販売を認めるのみならず、その販売による利益が原告が無償提供した器械器具類の代金相当額に達するまでその販売を継続することを認めることまで約束したとは認められず、他にそのような約束をしたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、原告主張の無償提供による取引の合意の存在を前提とする原告の債務不履行による損害賠償の請求もその余の点について判断するまでもなく理由がない。

4  更に、北原教授による眼内レンズ販売拒絶に係る不法行為の成否について検討を進める。

前記1に認定した事実によれば、原告と付属病院各病院眼科医局との間の原告による眼内レンズ販売をめぐる合意は、本来であれば低額である眼内レンズを当初は五割増の金額で、後には倍額で患者に販売することを可能とし、その多額の差益で付属病院各病院眼科医局のために便宜を図ろうとするものであって、いわば患者の犠牲の上に原告と眼科医局が不当な利益を引き出していたものである。のみならず、付属病院各病院眼科医局に経理責任も不明確な夥しい器械器具類が増加するとともに医局の原告に対する安易な依存と両者の間の不明朗な癒着が懸念される事態が生じていたと推認される。このような両者の関係は、社会的にみて相当でなく、問題意識もなくそのような関係を形成し、増幅した原告も眼科医局も相当の非難を免れることはできなかったものというべきである。

このような見地からすると、北原教授が前記認定のように原告に眼内レンズを販売するのを承認してきたそれまでの取扱を打ち切ったことは、同教授もそれ以前の両者の関係形成に無関係でなかったと見られることとか、原告が寄付を拒絶したことに基づく原告に対する不信感からその打切りに出たと見られることとかの事情があるとしても、原告と眼科医局との右のような社会的に相当でない関係を解消しようとした面もあると認められるから、相当な措置であったというべきである。

そうすると、北原教授の右打切りの措置が信義則に反し、権利の濫用になるとの原告の主張は、これを採用することができない。

したがって、北原教授の右の打切りの措置が不法行為を構成することを前提とする被告に対する使用者責任に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四  請求原因5(系列病院における営業利益に対する侵害行為)について

1  証拠(甲一一、一七ないし二二、乙一、二、証人谷内修、原告代表者(第一回、第二回))及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、付属病院各病院のほか、東急病院、東京労災病院、町田市民病院、老人医療センター(板橋区)、相模原協同病院、国立相模原病院などの病院においても眼内レンズの販売を行っていた。相模原協同病院以外の病院は、眼科部門の責任者がすべて被告大学から派遣された者又は被告大学の出身者である。

(二)  前記三1で認定したとおり、北原教授は平成三年六月四日付内容証明郵便で、原告に対し眼内レンズの販売を承認してきた取扱を打ち切ることを通知した。原告は、その通知があった一ないし二か月後以内に、東急病院、東京労災病院、町田市民病院、相模原協同病院及び国立相模原病院の各病院から、次々と今後眼内レンズの販売を取り扱わせないと告知され、眼内レンズの販売を行うことができなくなった。原告は、平成三年終わりころ、老人医療センターからも今後眼内レンズの販売を取り扱わせないと告知され、眼内レンズの販売を行うことができなくなった。

2 以上の事実からすると、被告大学と密接な関係を有する各病院が、北原教授が原告に眼内レンズの販売をやめさせた時期に近接して、一斉に原告に対して眼内レンズの販売を取り扱わせない措置をしていることからみて、相模原協同病院以外の病院の措置については、北原教授がその影響力を行使したものと推認される。

ところで、原告は右各病院においても付属病院各病院眼科医局の場合と同様に、患者に対して眼内レンズを高価で販売し、売上による利益の一部を右各病院の医局に器械器具類を提供する方法で供与していたと推認され、このような原告と右各病院との間の慣行は、原告と付属病院各病院眼科医局との間の慣行と同様に、社会的にみて相当とはいえない。

そうしてみると、北原教授が右各病院に対して原告に眼内レンズの販売を取り扱わせないようにその影響力を行使したとしても、その行為は、その動機として原告との不明朗な関係を解消させることを含むものであったと推認され、原告と右各病院との間の慣行自体が社会的にみて相当でないのであるから、北原教授の行為が原告に対して不法行為を構成するとまでは認められない。

3  そうとすると、北原教授が系列病院における原告の営業利益を侵害する不法行為を前提とする原告の被告に対する使用者責任に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五  以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとして、訴訟費用の負担の点については、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官永野圧彦 裁判官真鍋美穂子)

別紙売渡一覧表〈省略〉

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